Sunday, April 20, 2008

お茶

今日私は友達と一緒に「お茶」と言う演技を見ました。この話は第二次世界大戦後の話である。千九百六十八年 アメリカ人、つまり敵だった人、と結婚した日本の女性は家族と離れ主人とアメリカへ行ったのだ。この演技によるとそこの生活はすごい大変だった。その時アメリカ人は日本人を敵に見られ、違った人に見られ、いやな目で見られたから話の中の五人の妻達はアメリカに着いたから生活的にたくさん苦労した。この五人の女性たちはどのぐらいアメリカの文化に慣れるかどのぐらい日本の文化を続けて生活するか問題の一つだ。この五人は生活状況、社会地位、出身、アメリカにいる事に対する態度か考えは全部違う。日本でいたら別の世界なはずだ。でもこの五人はただ日本人だと言う事で運がつながれ、一緒にお茶を飲む事にした。五人の女性は話が続くにつれ知り合いからお互いの心の支えになった来た。

実は私は今演技を見て帰ってきた所なんだ。私は帰ってすぐこの経験について書きたかった。とても感動した。それよりも私は前から日本の文化と歴史について興味があったので見るともっと日本の文化について理解ができて来た。それで私と話の中の女性たちとの共通しているなのは文化の複雑だ。私はタイワン人の両親からたくさん中国の文化を習ってきたけど私はフィリピンに育て、アメリカの教育を受けている。だから中国やフィリピンやアメリカの考え方に全部少しずつ慣れて来た。これから私はどのぐらい中国の伝統的な考え方を守るかどのぐらいアメリカのカジュアル考え方を抱きしめるか分からない。正しい答えもない問題だなぁ。

1 comment:

Hiroshi said...

もともと「生活状況、社会地位、出身、アメリカにいる事に対する態度か考え」が全然違うバックグラウンドの5人が結婚してアメリカに来たということだけが同じだったのに、同じような問題があって支えあうというのはとても私も興味があります。確かに正しい答えはない問題ですね。でも一つの国、一つの言葉、一つの文化というのはもう古い考えなんじゃないかと思います。しかし、一方で日本語の教科書や日本語教育の中ではそれがまだ強く残っているような気もして、日本語を教えながら考えなくてはいけない問題だなと思っています。